2012年12月12日水曜日

36°cの言葉

学校の玄関前の築山の紅葉もほとんど葉を落とし、あたり一面を葡萄色に染めています。

さて、日本福祉大学主催高校生福祉文化賞エッセイコンテスト「36°cの言葉」と大阪経済大学主催第12回高校生フォーラム「17歳のからのメッセージ」の入選作品集が届きました。どちらにも本校3年生のエッセイが入選作品として紹介されています。


「36°cの言葉」で審査員特別賞を受けた山中さんのエッセイを紹介します。

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    命の重さ
                                              宇治山田高等学校3年 山中 萌





 先日、上野動物園でパンダの赤ちゃんが死んだ。
 自然交配でのバンダの赤ちゃんの出産は珍しく、快挙であった。名前が募集され、赤ちゃんパンダに関する多くの商品が準備され、日本はまさにお祝いムードとなっていた。その中でのパンダの赤ちゃんの死亡の報道。きっと日本全国の人々が悲しみ、がっかりしたに違いない。メディアも大きくこの報道を取り上げ、このニュースは日本人の多くを悲しませた。私もこのニュースを見て、「残念だ、悲しいな」と思った。しかしこのニュースを見ているうちに、思い出す出来事があった。保健所で里親が見つからず殺処分される動物たちのことである。
 保健所では年間二十万匹を超える犬猫が殺処分されている。里親が見つからず、行き場所を失った犬猫たちは死ぬことを望まれ、人間により殺処分される。
 そして彼らの死を悲しむ者はあまりに少ない。自分が何故捨てられたのか、何故苦しい思いをして死ななければならないのかさえ分からず殺処分されている犬猫たち。彼らの命はあまりにも雑に扱われている。パンダの死で悲しむ人の中には、自分の飼い犬を自ら保健所へ連れていった人もいるのではないだろうか。
 赤ちゃんパンダの誕生を華々しく喜び、死を大いに悲しむ人間がたくさんいた。その裏では誰にも知られず、殺処分されてしまった犬猫たちがいる。赤ちゃんバンダの死が大きく取り上げられたのは、その誕生は珍しく、そして大きな経済効果を期待されていたせいなのかもしれない。だがあまりにも大きいこの命の差は何だろうか。もちろん殺処分が仕方なく行われていることは分かっている。そして犬猫一匹一匹に情を持つこともきっとできないだろう。けれどももう少し、彼らの存在を知って欲しい。彼らのことをほんの少しでも想ってあげて欲しいのだ。